夏のウィーン滞在:私の心の中の「小姑みたいなやつ」

 8月から9月までウィーンで過ごして、ようやく先日出張報告書を大学に提出しました。証憑書類やらなんやらをまとめてしまったら時間が経ってしまって…。今回の滞在は、2018年度 ソーニャ・カトー&加藤周一・若手研究者育成プログラムによるものでしたが、一部に科研費、公益財団法人高橋信三奨学金を使わせていただいています。
 実は、来年度はウィーン大学でサバティカルの期間を過ごすので(ただ、調査や講演で日本に帰ってくることはそこそこありそうなのですが)、ウィーン大学の先生方や学生・院生の方々、ソーニャ・カトーさんと交流ができ、とくに、ウィーンの社会運動や自治空間について多くを知れたことは、自分にとって本当にプラスになりました。

 私は科研費もさることながら、民間財団などのファンドが好きでよくいただくのですが、今回主にいただいた育成プログラムの助成もどちらかといえば「民間」的な性質の強いものかもしれません。なぜ好きかというと、顔の見える方からもらったファンドは、何かその分お返ししようという気持ちになるのです。
 これは私が毎年行っている客員研究員としての他大学への滞在も多分同じで、夏のあいだだけお願いして客員にさせてもらうなんてわがままだと思われるかもしれませんが、迷惑をかけるからこそその迷惑に見合う何かをしよう、お返ししようと思う気持ちは強くなります。本来、そうしたモチベーションなしで、公共に資する研究とか、研究コミュニティへの貢献とか、自分の思ういいことをしていけばいいと思うのですが、どうもそのような感性に乏しいようで、スポンサーシップとかネットワーク志向にならざるを得ないところがあるようです。
 こういう気持ちが強いのは、ひとえに自分が祖母の遺産で研究してきたからだと思います。彼女のくれたものに恥じない人間になったかとはいい難いのですが、誰かの何かを背負ったり、引き継いだりすることは、自分のような「何もない」人間にとっていいことなのだと思います。私には大した野心もモチベーションもないので、そうでもしなければ歩いていけない、というのもあるのかもしれません。

 それは場所も同じで、いままでは自分が快適に過ごせそうで、研究に集中するための場所としてどこかを選んできました。だからいつも、友達のいすぎないところ、暑くないところ、治安の悪くないところを優先して選んでいて、それがどこの国か、都市かとか、実はあまり気にしないでいたのです。もちろん、その地域についてある程度知りたいとか、文化を学んだりしたいという意欲は持っていたけれど、恩返しをしたい、論文や著書を書かなくてはならないという、短期的な生産性への執着が先に来てしまって、そんな余裕自体が持てなかったというのがあります。
 今回の滞在で、ウィーン大学の先生方、院生の方々、学生さんやソーニャ・カトー氏とお会いできて、ウィーンの中でさまざまな機会をいただけて、いままで過ごしてきた社会とは異なる場所の課題にじっくり取り組みたいという気になってきて、すぐになにかを書かないと、という「生産性」みたいなものへのこだわりというか、焦りはちょっとゆるんだかな、とも感じます。もらった恩を返すにしても、長期的に返すというやり方は当然ありえるでしょうし。
 たぶん、超まずいことをしない限りは残り30年以上大学に籍を置いて研究をするし、そこから生まれた問題意識を使いながら、自分なりの運動の一環として、社会問題に関する話もするし、文章も書いていくだろう、そう考えたとき、あまり短い期間にこれをした、ということにこだわりすぎないというのは、自分自身にとっても重要なことだろうな、と思った滞在でした。もっとも、それは今回、何もしなかったことの言い訳かもしれないのですが……。

 祖母のことを書いていて思い出したのですが、私の中には、「よその人がこれくらいやっているのだから、これくらいしなければ恥ずかしい」とか、あるいは「こんなことをしているなんて恥ずかしい」とか、そう言いたがる「小姑」のようなやつ(ここでいう小姑はいわゆるもののたとえというか、一種のステレオタイプ的なやつで、私の周囲にいる誰かの「小姑」が、こういう存在であるわけでは全くありません)が自分の心の中にいつもいます。
 いつも夏に遠くまで来ている、そのいちばん奥底にある理由があるとしたら、自分の心の中にいるそういうやつの声を聞きたくなくて、純粋になにか知ることやその上に何か積み上げることを楽しみたいからなのかな、と思います。ウィーンでの経験を経て「私の心のなかの小姑」の声は、たぶん、すこしだけ遠くなったかな。

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