2021年と3ヶ月の休職のこと

 2021年11月から2022年2月まで,体調といいますか一身上の都合により休職しています。毎年なんとなくのまとめの記事を年末年始に書いていますが,私にとってこの休職のインパクトはとても大きなものでした。
 はっきり言って,「何もしない」ということがこれほど苦痛だとは思わず,自分がいかに「何かする」ことに対して強い呪いをかけていたか,かけられていたかということは、ずいぶん痛切に感じるところでした。
 休職して,入院の事前準備,事後療養も含めて三ヶ月間を休職しているわけですが,現時点で,休職中何をしていたかというと,やっぱり仕事していたと言うしかないと思います。これは別に職場や他の仕事先に理解がないとか,無理やり働かされていたとかでは全く無く,私の側が,講義に顔を出す,原稿を書く,出演する,そういう「日常」を続けなければ心が持たなかったのです。結局入院の直前まで講演もしてしまったし,レギュラー番組も出続けてしまっていました。

 新聞の連載や番組などで休職を公表した当初は,どちらかと言えば,この変化で今まで得られていた機会が奪われる可能性がある,ということへの恐怖が強かったです。「休んでいる」と公言すれば,当然,仕事の依頼は減り,職場でも居場所がなくなると考えていたものですから。ただ、11月に入って蓋を開けてみると,とくに仕事のご依頼は減ることもなかったです。
 ただ、そうなると、私が失いたくなかったのは仕事そのものではないんだろうなというのも分かってきました。自分がしたかったのは,予期しない異変があっても自分が「日常」を送れるという証明だったのだと思います。証明というと能動的ですが,日常通りに生きていかねばいけないという呪いのようなものかもしれません。

 なんとなくこうしたことを書いていて思い出したのが,ある友人の一言です。私が今の職場に准教授として赴任したのは28歳の頃のことでしたが,就職のお祝いをしてもらった時,ある友人が「京子って次はいつ教授になるの? たとえば40歳だとしたら,最悪,これから12年何もしなくていいってことだよね」と言い出したときのことです。

 当たり前なのですが,研究も教育も「そういうもの」ではありません。そもそも教授になることが重要だと思っている教員自体私の周りでは多くないという気もしますし,かりに教授に昇任するにも業績は必要でしょう。何より,研究を続ける,教育をするというのは,立場によらず研究者,教育者としての前提条件であるように思います。だからこそ,彼の指摘はいろんな意味で的外れで,「こいつ,バカじゃねえの」と思ったし,実際,面と向かって言ったような気もしています。

 ただ,彼だって,本当に12年間「何もしなくていい」わけではないと分かっていたし,自身の発言が的外れなことをよくわかっていたでしょう。何より,放っておけば,私がこれから12年の間をこれまでと同じように頑張ってしまう,そしてできなければそれを「恥」だと感じてしまうのも,長い付き合いの中でよく分かっていたでしょう。
 だからこそ,おバカ扱いされても言わずにはいられなかったのだと思いますし,実際に,体調や生活、仕事の面で予想もしないことが起きて,前と同じように頑張れなくなったとき,「何もしなくていい」ということを,ひたすら私に伝えたかったのでしょう。


 そんなわけで私の2021年ですが,彼のある種の「予言」通りで,何かしなければと日常にしがみつく一方,形になるようなことはあまり何もやっておりません。自分の整理用にメモをしておくと,1月に国際誌の査読論文が公刊されたので,自分に言い訳できるそれらしいことはしたからいいかなという感じです。多少の学会報告、ご依頼いただいた査読や論文に関してもなんとかできたのはありがたいことでした。
 継続中の科研費・民間助成に加え,新規で民間助成がいくつか取れたので,RAの方をたくさん雇えて、データのコーディングが進んだのも助かりましたが,全然助走期間なので,これからちょっとずつ成果にしていきたいです。

 あとはアウトリーチということになりますが,レギュラーで出演していたテレビ番組ラジオ番組ウェブ番組新聞連載コラム,あとはいろんなところで雑誌寄稿や対談,講演などをやったのですが,これらの中で発した言葉が読み手の方,視聴者の方の心にそれなりに響くのを目の当たりにして,自分はこういうことが少しは得意だし,多分好きなんだろうな,そしてそれは他人のために何がしかなってるんだろう,と肯定的に思えるようになったのが,何より良かったです。

 こうした仕事は私の「本業」とは強い関連があるわけではありません。特に研究内容と関係があるかと言えば,すごくあるわけではないので,「アウトリーチ」というのにも正直遠慮があります。だから今まで,そういうことが多少得意で,そういうことを好きな自分を認めたくありませんでした。
 ただ,誰に何を思われたとしても,自分が好きなこと,得意だと思えることは,するのがいちばんいいですね(もちろん,休まなければいけないときは休むとして)。私は人より何も持ってない,だから獲得するしかないし貢献しつづけなければならないと思ってたけど,もう十分,何かは持ってたんだろうなと思います。

(本論稿は、朝日新聞東京本社版10月2日夕刊に掲載された「富永京子のモジモジ系時評」を大幅に編集・加筆したものです。)

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