2016年度-2017年度富永ゼミ(一期生)の成果をまとめました。
【卒業論文】※そのうち、余裕があれば要約などを載せてもらうかも……
– 『コンテンツツーリズムによって満たされる心理的欲求とは――人々は聖地巡礼に何を求めているのか』
– 『若者たちの住まいのあり方―社会の仕組みから抜け落ちた彼らの行く末―』
– 『日本の芸術文化に対する意識について-シンガポールの芸術教育と芸術文化政策との比較から-』
– 『現代社会の観光における真正性』
– 『個人と国家に関する試論――個人の自由の限界点を探る――』
– 『日本の危険地報道が抱える問題点―「自己責任」バッシングにさらされるジャーナリストたち―』
– 『NPOと自立の関係性』
– 『コーヒーから見る真正性―客観的真正性と実存的真正性の奇妙な融合―』
– 『日本から見たシンガポールの「多文化共生」神話―公営住宅制度と多人種主義をめぐる現状の視点から―』
【グループ研究】
- 「日本礼讃番組はなぜ増加したのか」(英語版:“Why Does Nationalistic TV Program Increase in Japan?”)
→ 池田謙一編著,2018『日本人は「変化」しているのか』(勁草書房)第9章「ナショナリズム」(小林哲郎著)にて引用いただきました。
- 「日本人の政治的忌避感~『#音楽に政治を持ち込むな』批判から見る~」(英語版:“Antipathy towards Politics: The Movement of # Get Out from Our Music”)
【Web企画】
- 書評サイトホンシェルジュ「これから『マンガと社会学』の話をしよう(立命館白熱教室)」https://honcierge.jp/articles/interview/191
⇢ その後、井川アティアス翔氏(Mr. Sho Igawa Atias, M.A. Center for Justice and Peacebuilding
Eastern Mennonite University)にご取材いただきました
Strengths of Manga and Anime for Social Change? 社会変革に漫画やアニメは役立てるか
https://youtu.be/gZUZGz6hcpk
【合同合宿・合同授業】
– 九州大学法学部大賀ゼミ・南山大学大井ゼミ(合同合宿)
– 滋賀県立大学武田ゼミ(合同合宿)
– Singapore Management University(合宿、授業参加)
立命館大学産業社会学部のゼミは三回生からですが、彼らの多くとは二回生の頃から一緒に小集団講義をしていたので、出会って三年で、もうすぐ卒業になります。彼らが何かをするたびに、学生ってこんなにも私を遠くに連れて行ってくれるものなんだといつも思っていました。彼らのもたらす新しいものを受け取るたびに、私はいつも、自分がまだこんなに心が動く人間なんだって気づいて、そのことに驚きつつも、本当にありがたく感じているんです。
彼らと出会う一年前、滞在先のフィンランドでこう考えたことをいまでも覚えています。その頃はまだ博士論文を書きながら就職先を探してはいたのですが、その一方で、大学に就職すればもうこんなに自由で、遠くに行ける日々が当たり前ではなくなるんだろうなと、これまた当たり前ですが思っていました。それはまあまあ当たっていて、専任教員になれば週に4コマとか5コマは講義や演習をしなくてはいけないわけですから、学期中に気が向いて、受け入れ先を探して海外に数ヶ月滞在するみたいな行為はほぼ無理ゲーです(それにしても行かせてもらっている方だとは思いますが)。
それを考えると、確かに私は「遠くに行けなくなった」「自由でなくなった」のかもしれないです。ただ、ゼミの学生は、私が独りでは絶対に行くことのできない場所に連れて行ってくれることがあります。それは、彼らが普段関わっている物事を通じてみる社会とか政治のありようとか、彼らの言葉で発される問題意識とか、そこから生み出される知的好奇心や、それに基づいて行われた研究といったものです。そうしてできた彼らの研究が多くの人に関心を持たれたり、研究者の方に引用されたりするとき、私はいつも、こんなに遠くに行けるものなんだな、と感じます。それは、プレドクや院生の私がいくら自由でも、絶対にたどり着くことのできない場所でしょう。
何度か書いていますが、昨年刊行した『社会運動と若者』という本は、直接にはゼミとか大学で出会う学生たちを取材対象としてできたわけではありません。ただ、彼らの問題意識や日常会話、そこににじみ出る「政治」や「社会」のありように触発されて作った本で、彼らと出会わなければできなかった本です。だからそれも、ささやかではありますが「ゼミの成果」に加えさせて下さい。