最近記憶力が弱ってきているのですが、皆さんが入学された年月は絶対忘れなさそうです。2015年4月で合っていますよね。なぜなら、私も同じ年の同じ月にこの大学に就職したからです。ついでに言えば、私が大学に入学したのがちょうど10年前だったからです。
皆さんにとって大学生活がドラマチックだったように、私の大学生活もなかなか難しいことの連続でした。仕事で大きなミスはやらかすわ、周りの優秀な教職員の方々にはついていけないわと、「社会人」としても「教員」としても(「学者」としても?)、決して皆さんのお手本になれるような大人ではとりあえずなかったように思います。
そんな私ですが、先日、ある新聞社さんから「働き方の教室」というインタビューを受けました。上述したように、社会人としては失格ギリギリの私ですから、「私に働き方とか(笑)そんなもん、こっちが聞きてえわ」と思わなくもなかったのですが、実はこの冬はある事情で、昨年度に卒業し、いまはお仕事をお休みされている一期生の方と一緒に過ごすことが多く、その人から話を伺うにつれ、社会に出た一期生たちはこちらの想定を超えて大変な目に遭っているということを知りました。いまの彼らと、未来の皆さんに届く言葉を作りたいなと思ってお仕事を受けたのです。
皆さんとお会いしたことで、私の仕事や感性の幅が広がっているのを、卒業論文の指導にあたってからずいぶん実感するようになりました。それだけ、皆さんが自分の考えていることとか、生い立ちとか、問題意識を意識的、あるいは無意識的にご自身の論文に込められていたのだと思います。そして最近、私の感じた「広がり」は皆さんの卒業後もずっとずっと続くのではないかと思うようになりました。
多分、ゼミ生の皆さんが10年、20年経って、職業生活や家庭生活においていまとはまた異なる立場に立たれたとき、私はいまとはまた異なる、10年後、20年後の皆さんに向けた言葉を編みたくなるでしょう。
皆さんにお会いできて本当に良かったです。卒業論文を通して、皆さんの言葉が届いたように、私がこれまで編んできた、あるいはこれから編む言葉が皆さんに届いて、少しでも支えになってくれることを祈ります。
それでは、「社会」のどこかで、またお会いしましょう。
2019年3月20日
富永 京子