卒論を終えて――踏み台として使っていただく嬉しさ

 今学期も無事に(?)終わりました。いつもの講義に加えてゼミも持っているので、ゼミ生をはじめとした周囲の4回生が卒論を書く過程を見つつ、たまーに介入しつつ、という感じで過ごしていました。

 そんな中で、ある受講生のFacebookの書き込みがとても印象的でした。
 その学生さんは、海外のある地域における社会現象について研究していたのですが、それについて、日本語の非常にすぐれた博士論文がある、その研究にどうやっても太刀打ちすることができない。そういう情けなさを感じたことと、決して日本でよく知られているとは言えない社会現象に対してもこれほど長いこと検討を重ねている人がいる、そういった形で研究という営みの重厚さを感じた、そのことに卒論の執筆を通じて気づいた、ということを書かれていて、とても心に残りました。

 私のもとにも、私の本や論文を先行研究として使ってくださった他大学の学生さんによる、いくつかの卒業論文が届いています。私自身、名前だけは知っているが実はよく把握していない、という社会運動を事例にしたものも多く、ひとつの思考の過程を読むという意味でも、いつも見ているものとは違う社会運動を知る上でも、嬉しく拝読しています。私の本は、上述した受講生の方が参照した先行研究とはまったくもって異なり、理論に穴も多くまだまだ伸ばしきれていない部分も多いようなものです。ただ、拙著を言わば「踏み台」として使っていただくことで、書き手の方の目に社会現象のあたらしい風景が見えたのでしたら、やはり嬉しいことこの上ありません。

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