2019年度は二紙でコラムを連載します。ひとつは昨年度から続けていた毎日新聞(大阪本社版)時事ウオッチですが、こちらは隔月のリレー連載で、日曜から土曜夕刊に移ります。また、もう一紙連載をはじめますが、こちらは朝日新聞(全国版)で、「富永京子のモジモジ時評」(第一回はコチラ:
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13967932.html )というタイトルで、毎月第一週土曜夕刊に連載します。これまた偶然で、どちらも土曜夕刊です。
新聞寄稿の仕事はとりわけ好きでお受けしているのですが、なんで私はモジモジというか、ウジウジしているくせに公にものを書こうとするのかとずっと思っていたのですけれども、三つくらい理由がありそうでした。おそらく1つ目は、家族とか友達とか、あるいは学生さんとか、大切な人になればなるほど直接伝えるのが恥ずかしいからかな、と思いました。
あまりに伝わりすぎるから、私たちのことがどこにでもあることの一つなんだといいたくて、こういうところに書くのかなあと。
もうひとつは、連絡したくてももう連絡できない人のためです。この年になればいろいろあるわけで、大好きだけど会えない人、連絡できない人は死ぬほどいます。新しいの仕事をお受けするとき頭に思い浮かんだのはそういう人のことでした。元気でやっていると知れば、きっと嬉しくなってくれるでしょう。
3つ目の理由は上手く言えないのですが……。多分、自分がいまハガキ職人の研究をしていることと関連していると思います。その話に関連して、あるレジェンドハガキ職人の方々と話していたのですが、いま、新聞に寄稿しているんでしょ、遅れてきた復活じゃん、と茶化されて、そのことを妙に嬉しく感じていたのを覚えています。
土曜日には強い思い入れがありました。毎週、彼らが「常連」としてネタを披露し、私もぼちぼち投稿していたあるプログラムが公開される日だったのです。土曜の夕刊と聞いて、なんとなく思い出したのはそのことです。20年前ぶりに、自分の「ネタ」が載るかどうか(そりゃ載るんですが)と、友達とワクワクドキドキするのを待つ夕方になりそうで、それが私は一番嬉しいのかもしれません。
いずれにせよ、お前公器を私信に使うなよって感じですが、その結果何か少しでも普遍的な言葉が作れて、私たち以外に少しでも伝わる人がいればとても嬉しいです。写真は、前回(2019年3月10日)の「時事ウオッチ」です。(SNSの「埋め込み」を新しいバージョンでやってみたかったので、なぜかTwitterからです。)