会津大学で教員をされている社会学者の吉良洋輔さんが、2018年9月16日に亡くなりました。31歳でした。
本来、同じ職場である会津大学の先生方や、あるいは東北大の行動科学研究室の方、またPDの受入先であった東京工業大学のVALDESの方々、数理社会学会の会員の先生方といったような、もっとお近くにおられる方がたくさんいると思うので、私などに彼を悼む権利があるのか、そしてこうして文章を書くのが良いことなのかどうなのか、分からないままですが、彼はとても大事なことを私に教えてくれた友人のおひとりですので、こうして書こうと思います。
ある一時期、私はすごく初歩的ですが社会ネットワーク分析にハマっていて、博論で使おうと試行錯誤している中、東京を中心に活動していた数理社会学研究会の先生にお誘いいただき、月に一回参加させていただいていました。2013年の春にそこでご発表されていたのが、当時おなじ博士課程三年で、日本学術振興会特別研究員DCの吉良さんでした。飲み会で以下のように話しかけられたのをいまでも覚えています。東北大の院生の方々から、同い年でとても優秀な方がいるということは伺っていたので、「おお、この人があの吉良さんか」と感じたのも、いまでもよく覚えています。
「富永さん、今年学振PD出しますよね?お互いチェックしませんか」
当然、私がその年に学振PDに申請するかどうかは分かりません。もしかしたら研究が振るわないとか、そもそも出しても通らないから出さないとか、そういう可能性もあったでしょう。ただ、彼の目には「出して当然だ」と感じられたのでしょうし、私も申請することは当然だと考えていたので、「もちろん、ぜひお願いします」とお答えしました。そういった、「人が自分と同じように、上手く行っていると信じて疑わない感じ」は、ある意味で自分とすごく似ていると感じる一方で、しかし私と決定的に違うのは、彼が誰から見ても優秀で、すでに難度の高いジャーナルに掲載され、受賞もされて素晴らしい研究業績を積み重ねていたこと、何より、ご自身の研究の社会的・学術的意義に迷いを持っていないところでした。そういうところは、パッとしない、自分の研究に自信の持てない私としては、眩しく、少しだけ引け目を感じてしまう部分でもありました。
同年の秋に学振内定の知らせを受けたのですが、彼の結果が分かっていない以上、報告していいものかどうか…と迷っていたところ、吉良さんから「学振受かりました」とFacebookメッセンジャーで連絡がありました。それで、私も安心して「私もです」と返し、飲み会の約束をしたのです。1年ほどのPD生活を経て、2015年に私は立命館大学に、2016年に吉良さんは会津大学に准教授として赴任するのですが、彼には安心して次のステップのことを伝えられました。「私がうまくいったのだから、彼もうまくいっているだろう」という安心感があったのです。常に先に進んでいてくれて、そのことを屈託なく話してくれる人、だからこそ私も遠慮なく喜びを共有できる人、私にとって吉良さんはそういう方でした。
数理社会学研究会のなかでも、彼はフィールドに強い興味をお持ちくださっていて、ご自身もNGOや地域での活動にコミットされていたこともあり、あまり関心を持たれないだろうな…とお話した私の研究にも色々ご質問をくださいました。2016年度から、中井豊先生(芝浦工業大学)の指揮のもと、同じ研究プロジェクト「市民社会とともに歩むコモンズ――中山間地域活性化の数理社会学的研究――」で調査研究を行うことになります。研究会のたびに、最新の文献や投稿先に相応しいジャーナルについてご教示くださって、私のスマートフォンのメモには、吉良さんの教えてくださった、大量の(私にはまだ処理しきれていない)文献やジャーナルの情報が残っています。
就職してからはプロジェクトの会合で年に数回お会いするだけでしたが、一度一緒に岡山県に調査に行ったことがありました。そのときは、偶然私の出演したあるテレビ番組が放映された直後でした。今なら、一度メディアに出たくらいで大きく、研究者として道を外れたり、なにか失うなんてこと思わないのですが、当時の私にとっては、多くの人に社会運動に対する見方を伝えたいと思うと同時に、そういう「研究者なら、◯◯せねばならない(あるいは、◯◯してはならない)」という強烈な負荷がありました。そういう自分の立場からすると、あるメディアに出るということは「研究者らしくない」行為に他なりませんでした。
調査が終わって飲み会をしていたとき、吉良さんが「そういえば富永さんテレビに出ていましたね」と仰られました。それは、同い年で、順調にキャリアを積んでいて、何より研究者として「まっとうに」素晴らしい吉良さんからの言葉でしたから、他の人に言われるよりも痛烈に「恥ずかしい」ことでもありました。ただ、吉良さんはいつもどおり何の屈託もなく、「◯◯どうでした?✕✕は?」と放映や収録の状況などを、いつも、研究会でのやり取りと同じように「知りたいから聞いた」という素振りでお聞き下さっただけで、すぐに話は変わり、ずっと調査や私生活の話をしていました。
私は吉良さんをずっと眩しく、かなわない人として意識していて、これは彼に限らずですが、優秀な人から「どう見られるか」ということが非常に気になっていました。ただ、そういう私の気持ちとは裏腹に、吉良さんは私など眼中になかったことは間違いなく断言できます。私の目から見て、吉良さんはご自身の研究をどう発展させ、どのように先行研究や学問領域に対して貢献するか、ということに関心を傾けていたひとで、「知りたいから学ぶ」という態度を、フィールド調査においても研究会においても徹底されていました。
私が彼から学んだ、しかし一生彼のようになれないだろうと感じたのは、そうした、周囲に何か思われることを意識せず、自らのいいと思った方向に自信を持って突き進める、それを嫌味なくさらけ出せる恬淡さとでもいうものでした。氏の研究が素晴らしいことは言うまでもなく確かですが、彼の研究の素晴らしさを作り上げた一つの要因は、そうした恬淡さや人懐こさ、ひたすらに自分と他人に対して明るいところだったと思うのです。