2月から3月にした仕事まとめ(エッセイ、コメントなど)

 いくつか仕事をしたので備忘録がてらメモしておきます。

 -『ユリイカ』3月号「特集 岡田麿里」
 「変わらないことへの保守的な愛着としての青春」という題で、岡田麿里さんの『あの花の名前を僕たちはまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』評を寄せています。
 岡田麿里さんの物語の面白さは、変わってしまう(そしてその変化を郊外の中で逐一監視される)主人公たちが、「変わらない」ままでいたいと欲し、再度「変わらない」ものを見つけ出す、というストーリーにあると思います。そもそも「変わらない」ものなんてない、その中で主人公たちが過去に行き着く、過去の周期的な共有をもって「変わらないこと」を繰り返そうとする『あの花』のストーリーは特に印象的です。このことは自分の10代の多くの期間を占めるくらいずっと思い悩んでいたので、同じ形で悩みを思い描いていた人がいることに救われました。いつまでも酸いも甘いも噛み分けられない、鋭敏すぎる味覚を持った彼女の作品は、私だけでなく、おそらく多くの「過去を忘れられない」人にとって楽しめるものだと思います。

 - 映画『BPM』(ビート・パー・ミニット http://bpm-movie.jp/)上映推薦文
  HIV/AIDSに関する政府・企業への抗議活動、啓発活動を行った社会運動団体、ACT UPの活動を描いた映画です。祝祭的なパレード、クラブカルチャーとの連続性など、近年の「若者の社会運動」を彷彿とさせるような活動が描かれます。活動参加者たちがそれぞれの日常と集合行動を行き来するさまが丹念に描かれ、彼らの生を追体験するかのような気持ちになります。また、この映画に特徴的な点として、とにかく会議のシーンが多いのですが、それでも全く退屈しません。ACT UPのメンバーはとにかく徹底的に、どこでも、何度でも話し合います。いわゆる熟議とか集合的意思決定と言われるものなのだと思いますが、会議の過程で連帯を強め、熱を帯びていく過程は圧巻です。
 同時に、会議や直接行動といった社会運動のプロセスの中で「真の当事者」をめぐって断絶が生じてしまうシーンも非常に印象的でした。また、運動の負の部分という点では、傍観者たちから「見たくない」ものとして扱われたり、日常と運動の間でふと虚しさや憂鬱を感じるといった描写も心が締め付けられました。

– 世界思想社PR誌『世界思想』45号 特集「メディア・リテラシー」
 エッセイ「社会運動のメディア・リテラシー―日常からの逸脱か、それとも日々の延長か」を寄稿しています。G8サミット抗議行動と安保法案への反対運動における携帯電話(スマートフォン)の使われ方をもとに、参加者の「日常」と社会運動との関係がどう変化したのか、ということについて書いています。私のはともかく、面白いエッセイがいっぱいなので、もし関心をお持ちの方がいらっしゃればお送りいたしますので言って下さい。
 このアイディアのもとになったのは柳田國男『明治大正史 世相篇』にでてきた「火の分裂」の話です。たとえば「SNSが社会運動を新しいものにした」というような議論にはあまり簡単に乗りたくないのですが、ひとつひとつのメディアを丁寧に見ていくと、「火」が同じ世帯に住む家族それぞれの独立した思考形成を促したように、ひとりひとりの社会運動への関わり方を違うものに(ある意味では非常に同質性の高いものに)した、そういうことが言えるのかもしれないと思って書きました。こういうご依頼をいただくのははじめてだったので、佐藤健二『ケータイ化する日本語』や水越伸『コミュナルなケータイ』も再度読んだのですが、過去に読んだのとは違う面白さがあってよかったです。

– 『VOGUE JAPAN』5月号 企画「マンガの目利きが厳選!今、読むべき55作」
 近藤ようこ『見晴らしガ丘にて』上野顕太郎『さよならもいわずに』渡辺ペコ『1122』高野文子『るきさん』西村しのぶ『一緒に遭難したいひと』の5冊を推薦しています。『見晴らしガ丘にて』と『さよならもいわずに』は絶対どっかで紹介しようと思ってたので、ここで紹介できてラッキーでした。
 VOGUEは縁遠いこともあってあまりじっくり読んでいなかったのですが、セレブリティのインタビューなどから社会問題への高い関心がうかがえます。ミウッチャ・プラダのインタビューは、自身のアクティヴィズムの経験から政治と文化、ファッション、フェミニズムの関係を捉えていて、(多少、「?」となるところもないわけではないのですが)とても勉強になりました。とりわけ「『ファッションの地位が低いのは、女性の仕事だと考えられてきたからだ』と言われてきた」という言葉を見て、私にもそういう目線があったかも……と反省しました。

– 共同通信3/28記事コメント(「中学校道徳教科書検定」関連記事)
 道徳教科書検定の問題につきまして、日本礼讃番組と関連して小さいコメントを寄せています。私は京都新聞で発見しましたが、他にもいくつかの地方紙3月28日の朝刊で見られるようです。
 コメント自体はあまり大きくないものですが、なんで私がしてるのかというと、教科書問題と日本礼讃番組との関連を調べられていた記者さんから、学生の研究を見てご連絡いただいたためです。衒わずに関心のあることを研究すれば社会的に意義をもつんだなあと、学生の研究から学んだ機会でもありました。

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