頓挫した「ハガキ職人」研究:19年前からの友人、とがわKさんによせて

※今回はあまり研究・教育に関係のない個人的な更新です。

 ウェブサイト「ファミ通.com」の「コンピュータ町内会」というウェブサイトで、富永の名前が言及されています。これは、ゲーム雑誌『週刊ファミ通』の読者コーナーのオンライン版なのですが、この読者コーナーの常連投稿者として19年間活躍された「とがわKさん」という方が引退されるということで、引退インタビューが掲載されています。徹頭徹尾意味不明な上、なぜか富永の名前まで出てきます。なんで富永が関係あるかというと説明しづらいのですが…。

 実は私がずっとやりたくてやっていなかったこととして、「ハガキ職人」研究があります。そのきっかけは、彼、とがわKさんとの会話にあります。彼が私の名前を出してくださったので、私も彼とのことを書きたくなりました。

 10代の頃、私は本当に少しの間だけハガキ職人でした。結構載って、名前が目立ってくると楽しいのですが、中学生で女子ということもあり(ハガキ職人は結構マッチョな感性や経験が求められる世界だと思うのですがいかがでしょうか?)、正直なところあまりセンスもないようですぐ辞めてしまいました。しかし一方で、その頃はウェブの掲示板(BBS)が流行りかけだったのと、ドリームキャストなどで簡単にウェブサイトが作れることもあり、有名ラジオ番組や雑誌の常連投稿者の方はウェブサイトを開設されていました。そこにはBBSもあり、私も隅っこで交流させてもらっていました。
社会運動も同じかもしれませんが、だいたいこういった世界は世代交代も早く、多くの人は卒業していったり、誌面には投稿するががウェブには顔を出さなくなったりということもありました。私も高校に進学するのですが、あまり合わなくて友人もおらず、学校にも行かなくなったので、投稿は殆どしなくなりましたがBBSには依然として残っていたのです。

 常連投稿者のホームページやBBSもまばらになってきたころ、ある掲示板に現れたのがとがわKさんでした。当時『週刊ファミ通』の読者コーナーで猛威を振るっており、私を含めて誰もがあこがれた人気者です。その掲示板で、ある常連投稿者の方、とがわKさん、ろくに投稿もしていない私の不思議な交流が始まりました。その交流は掲示板からSNSへと場所をかえて、ファミ通をそれほど読まなくなる大学院生の頃まで続き、ある日東京でお会いすることになりました。その頃から、数年に一度お会いする関係が続き、今に至ります。

 19年間もあると、環境も人もずいぶん変わってしまいます。その中で、彼の名前を雑誌などで目にし耳にするたび、変わらないものがあることにずいぶん救われてきたように思います。

 だいたいのことについてそうではないかと思いますが、なにかを途中で辞めた人は、ずっと続けている人に対して、罪悪感や後ろめたさのようなものを感じているのではないでしょうか。一度、雑誌の中から消えて行った人、ハガキを送らなくなった人について、どう思うか少し聞いてみたことがあります。その時のお答えとしていただいたのは、「僕はむしろ人が辞めていくのが嬉しいくらいかもしれない。他にやること見つかったんだねって思うから。ただ、僕はまだここにいるよ。」というお言葉で、何となく心にひっかかっていたものが、すこし取れたような感じがしました。

 彼と話してびっくりしたのは、普段は思い出しもしないようなレベルで瑣末な昔のことが、ある時期一緒に載った媒体の話題から、明確に思い出されてきたことでした。たとえば家族や友達といった、普段会って話していた人たちとも思い出話はしますが、それよりもずっとはっきりと思い出されていることに驚きました。投稿をはじめたきっかけ、載ったネタの内容、出していた媒体の話からその頃感じていたことや考えていたことが連想されるのですが、そのたび忘れていることのあまりの多さに驚きました。それがこんなどうでもいいやりとりから思い出されてくることにも。

 さらに驚いたのは、私たちはある時期同じ媒体に載っただけで、何の相互行為もしていないのに、その時確かにコミュニケーションをしていたことです。ネタが日々の生活から繰り出されるもので、媒体を同じにしている以上、ある範囲での時間や場所、問題意識を共有しているのは確かなのですが、これほど「通じている」と感じるとは思わなかった。それは、単にネット上で知り合った人とオフで合うのとも、毎日電話で話している友達と直接会うのとも少しちがう。

 だから、私は彼のことを「19年前からの友人」と言おうと思います。そして、そのものずばり「ハガキ職人」の研究ではないにせよ、変わることと変わらないこと、続けることと辞めることの間にある葛藤と、それでも続ける人と辞める人をつなげる何かを、自分なりのやり方で探していこうと思います。
「他に何か見つかった」のは、皆そうかもしれないけど、きっとそれだけじゃないですよ。ハガキを書いてつながっていたあの頃があるから、きっと「他の何か」を通じてあの頃の葛藤やもやもやを解き明かそうと思っているんです。

 今までお世話になりました。最後にこっち向いてくれてありがとう。

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2件のコメント

  1. 昔(20~15年くらい前)はファミ通は町内会のためだけに購入して町内会だけ保存していましたが、今は半年に一回くらい、思い出したらウェブの町内会を見ている者です。
    さきほど、遅ればせながら、とがわKさんの引退を知り、ファミ通でのインタビュー記事、そこで富永様の存在も知ってこのページにたどり着きました。
    こういう媒体でネタを見ることによってしかその存在を知ることのできない我々にとって、ハガキ職人さんの引退は、安らかにお眠りになったのと同じ、(いつまでも心の中で生き続けてるよ)という状態で、なんとも言えないさみしさを覚えます。
    富永様の文章、特に「19年間もあると、環境も人もずいぶん変わってしまいます・・・」からの文章、その後のとがわK氏のイラストを見ると、せつないような、なんともいえない気持ちになりました。

    ハガキ職人のご研究、楽しみにしております。(個人的には、オールナイトニッポンの道上ゆきえ氏(おそらく「はがき職人」という単語の創始者)のファンでした。)

    1. ありがとうございます。返信がまことに遅くなってしまってすみません。

      20-15年前だと、ちょうど1997年から2002年ですから、私が読者(で、プチ投稿者)だったころともかぶっていたと思います。こうした場でお名前を出していいのか分かりませんが、利子で暮らすさん、やさしいさん、薦田拓大さん、非力さん、ごうピーさん……といった方々がいらっしゃったのを覚えています。私はその頃ある投稿者の方と近隣に住みつつメールのやりとりもしていて、いつかお目にかかりたいと思っていたのですが、その夢も果たされることなく今に至ってしまいました。それは未だに「夢」で、なんとかして叶えられないかと思っています。

      自分自身の話で恐縮ですが、自分のやったことが印刷された媒体に載る、その反応をネットなりメールで全国各地の仲間と分かち合えるというのはなんとも魅力的で、きっとそういう魅力が好きだったから、この仕事に就いたというのもあったと思います。そういう意味で、環境も人も変わってしまうかもしれないけれども、自分の中にも生きているし、投稿者の方々も彼らのなかにこの経験が生きていることを信じたいです。実現できるならば、彼らの「その後」を自分の手で綴る機会があったら、と思います。

      それにしても、あんな記事(褒め言葉です)から来ていただいて、有難い限りです。これもまた、とがわKさんのお作りになられた不思議なご縁ですね。レジェンドはやっぱり違うなあ。