著書が刊行されました(+雑感など)

平成27年度に、東京大学大学院人文社会系研究科に受理された博士学位請求論文が書籍化・刊行されました。

富永京子,2016『社会運動のサブカルチャー化――G8サミット抗議行動の経験分析』せりか書房.(Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/479670356X/ref=cm_sw_r_tw_awdo_x_m047xbTASJX43
Honto: http://honto.jp/netstore/pd-book_28109735.html
preface

2008年に行われた北海道洞爺湖G8サミット抗議行動に参加する人々への取材を元にしながら、とりわけ左派やリベラルといったような立場をもつ、「社会運動」という世界の「こだわり」や「しきたり」、「規範」や「理念」がどのように生まれ、人々の間で共有されていくのかについて論じた本です。

この本の舞台は北海道ですが、本自体は主に東京で書きました。2008年に北海道大学経済学部に在学していたのですが、2009年からは東京大学大学院人文社会系研究科に進学したためです。それから5年半くらいかけて、東京と北海道を行き来しながらこの本を書きました。
22歳から27歳のあいだということになりますが、特に二つの転機がありました。ひとつは22歳のとき、祖母を亡くし、その後しばらくして彼女の遺産で研究をしなければならなくなったこと、もうひとつは、26歳のとき、ある事情で実家をなくしたことです。このことについてはうまく言えないのですが、自分の帰る家や自分の生きる糧のおおもとが、何か生きている人の活動に基づいているかいないかでは大きく違っていたように思います。すくなくとも、当時の私は、何か志しているものや解き明かしたい問題があって研究をやっていたという感じではありませんでした。ただ、それくらいしかすることがなく、それをなくしたら本当に何もなくなってしまうのでやっていたという方が近いです。

帰る故郷がなくなった東京の私は、狭い部屋にいるのも嫌で、かといって北海道に戻る気もなく、よく海外に行くようになりました。この本には少し計量分析を使ったり、日本で見られない新しい理論を使ったりしているのですが、それもそこで出会った友達に教えてもらったものです。その友達に会ってもっと色々なことを学びたいというモティベーションが、論文を書いたり、資金を獲得して、結果として研究を続けることにつながったのだと思います。
家はなくしてしまいましたが、札幌で新しいつながりを作ることもできました。それは、今まで取材をさせてもらっていた札幌のアクティヴィストの方、市民活動に携われていた方との「友達」としての関係です。今でも、用もなくふらっと飛行機に乗ることができるのは、札幌が私にとって、あたらしい形で帰る場所になったためだと思います。この本には、活動に携わった人々が人生の転機に直面して、どのように考え方が変化したのか、振る舞いの変遷が書かれていますが、それはそのまま、私自身の変化でもあります。

北海道や海外といった遠くの友達のことばかり書いていますが、東京にいた近くの人々の支えなしでは研究は続けられませんでした。東京大学大学院社会学研究室の先生方、先輩や後輩の中で過ごす日々は、はじめて自分が一点の曇りもなく楽しいと思えるような生活でした。外で得た知識や技術をすぐに使ってしまいがちな私の「暴走」を厳しく抑えてくださったのも先生方と先輩方で、今このような立場になってみて改めて、そういう人はかけがえのない存在だと感じます。
これだけ居心地がいいと一つの場所に留まりがちになってしまうのですが、色々な研究会や大学のゼミ、あるいはアクティヴィストの人々との「弱い紐帯」に満ちているのも楽しくて、つい、色んな所に顔を出してしまいました。そういう意味でも東京の生活は、何かを失った喪失感を忘れるだけの刺激や楽しみに満ちていたと思います。

この博士学位請求論文が受理されるかされないかのタイミングで、関西の大学に異動することが決まりました。そのためか、この本は、私にとって「東京と北海道(と、たまに海外)を行き来した、院生時代に書いた本」という印象がとても強いです。つぎのあたらしい本は、大阪や京都、滋賀の若い人々にも聞き取りを行いながら書いています。「関西に来て、教員になってはじめて書いた本」がどのようなものになるのか、私も書いていてワクワクしていますし、新しい立場、新しい地域で新しい関係性や楽しみを見つけることができることを知って、やはり研究を続けていてよかったと思うのです。

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