たまには富永がゼミの報告をしたいと思います。本日は学期末のシンガポール旅行についての話し合い、クリスマスパーティー、国際ゼミ研究交流会、富永ゼミ内定者との交流会の話をした後、いつもの文献輪読でした。
本日から学期の最後まで、山岸俊男『信頼の構造』(英語で読む人は、Toshio Yamagishi, 2011, ” Trust : The Evolutionary Game of Mind and Society”)を読みます。「日本は集団の凝集性が高くて、相互信頼の高い社会だよね!」という一般的な日本・日本人像を社会心理学の実験によって突き崩していく名著です。大阪のおばちゃんとアメリカの田舎の人の隣人愛は何が違う?といった、各人の過ごした生活環境に基づく身近な話から、「信頼」と「安心」についての議論が盛り上がりました。
今年度に関して、ゼミの文献は、学期はじめに各人が持ち寄った中で一番その時、そのメンバーに合いそうなものを選定しています。今年読んだ文献は、以下のとおりです。
– 東浩紀, 2014 『弱いつながり』幻冬舎.
– 山下晋司編, 2007 『観光文化学』新曜社.
– ジョセフ・ナイ, 山岡洋一(訳), 2004 『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』日本経済新聞社.
– 池田謙一編, 2016 『日本人の考え方 世界の人の考え方――世界価値観調査から見えるもの』勁草書房.
– 山岡一郎, 2000 『社会調査のウソ――リサーチ・リテラシーのすすめ』文春新書.
– 岩淵功一, 2007 『文化の対話力――ソフト・パワーとブランド・ナショナリズムを越えて』日本経済新聞出版社.
– 山岸俊男, 1998 『信頼の構造――こころと社会の進化ゲーム』東京大学出版会.
(図書のみ。論文を除く)
以上となります。議論する中で、学生さんたちの反応や議論の広がりを見ながら決めていったのですが、案外広がりがあり、最初のテーマだった観光や国際政治から、それぞれの関心に即して大きく関心を伸ばすことができたのではないかと思います。
また、ゼミ大会や国際ゼミ大会の準備、富永ゼミ×ホンシェルジュ『これから「マンガと社会学」の話をしよう』(https://honcierge.jp/articles/interview/191)に引き続き、あるウェブメディアで企画を始めさせて頂く予定で、いま準備中なのですが、そうした企画を通じてアウトプットするためには、やはり知識を蓄える必要がありますし、必要に応じて本を読むことで、さらに興味の枝を増やせるのではないかと感じています。
富永自身も、自分とは違う考え方を受け容れることができ、体験と大きな社会を繋げて考えることに躊躇がなく、柔軟性の高いメンバーに囲まれつつ、とてもいい勉強の機会をもらっています。自分の経験や整理しきれなかったことを、本から概念を与えてもらうことによって気づいたり、面白みを実感したりしているメンバーの表情をみると、とても嬉しく思いますし、これから就活で忙しくなっても、卒論が大変になっても、大学を卒業しても、そういう嬉しさを忘れないでいてくれれば、それは大学で学んだ甲斐があったのではないかなと思います。
自分なりに社会科学を学んでありがたいと思ったことは、自分の置かれた環境から少し距離を置いて検討できることです。友人関係や労働、家族や恋人のことなど、これから絶対に私たちは悲しい目や辛い目に遭いますし、その中には避けようがないものも数多くあるでしょう。その中で、そういう悲しみや辛さと距離をとることができるのは、社会科学を学ぶひとつの意義かなと思います。
自分自身の話をもう少し続けると、実は2年前の今日は、現在奉職している立命館大学から内定連絡をいただいた日でもあります。その当時、私は東京で博士論文を修正しており、市ヶ谷の自室から単位履修をしていた法政大学の講義に向かうところでした。九段下のタリーズで予習をしていた時に電話をいただいたのを今でもよく覚えています。
こんなことを書くと怒られてしまいそうなのですが、実は内定後、さて関西に行って「先生」になるか、という気持ちにすぐになれたわけではなく、決断を迷わなかったわけではありませんでした。当時は学振特別研究員として過ごしていたのですが、好きな時に海外で過ごせるような自由さや、都市の隙間で雑多な人間関係に囲まれ、好きな時間に起きて疲れたら寝るという気楽な生活は捨てがたいものでした。いろいろ別の事情もあって、すこし大人にならないとな、と思ってなった大学教員でしたが、これほど楽しいとは、嬉しい誤算でした。