今週発売の『週刊ダイヤモンド』にて、作家・佐藤優氏による拙著『社会運動のサブカルチャー化』の書評が掲載されました。まさか、週刊ダイヤモンド!いいのか、週刊ダイヤモンド!
オンライン版はこちら http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/18373 ですが、定期購読が必要なようなので、書店などで見かけた際にぜひお手にとってみてください。
内容は転載できないのですが、グローバル化に伴う社会の個人化・流動化の中で、運動は共通の敵や目標ではなく、こだわりやしきたりに基づき形成され、「同好の士」によってクラスター化される――という本書の主張にご賛同いただいた上で、「クラスター化して分化した抗議活動は、政治力としては弱くなる」(『週刊ダイヤモンド』2016年11/5号, p.100)というご示唆をいただきました。
こうしたご指摘はごもっともと思う一方、WTO閣僚会議への抗議行動や、2000年代のG8サミット抗議行動といった、反グローバリズム運動(オルターグローバリゼーション運動)がたとえ一時期であれ力を持ちえたのは、様々な団体が、様々なやり方で集合する空間がありえたためとも感じています。2010年代には、同じく多様なアクターの集合体であった台湾の太陽花學運から「時代力量」という政党が設立されていることなどを考えると、社会運動の言わば「クラスター化」はあながち政治的影響力にとって悪いことばかりでもないのでは……とも考えられます。
とはいえ、本書で扱った事例が「同好の士によるクラスター化した運動」という一面を強く持っており、多くの頁をクラスター間の相互理解や共在というよりも、互いの「衝突」や「無理解」に割いているのも事実です。「クラスター化した運動」の成功例とその条件について吟味する必要は依然として存在しています。また、日本でのさまざまな動きを見るにつけ、社会運動のなかでどこまで集団を統制するか、個々の自律性を尊重するかということは、2010年以降の運動にも共通のテーマでもあるでしょう。