『社会運動と若者』第二刷:「個人化個人化って、じゃあどうすりゃ連帯できんだよ」


『社会運動と若者』の二刷が届きました。オフィスに置いているうちにすぐなくなってしまうので、今回は私にも多めに送っていただきました(写真はそれです)。もし手に入りにくい環境にいるが、読んでみたいという方がいらっしゃれば、とみなが(nomikaishiyouze★gmail.com  ★はアットマークです)までご連絡くだされば販売したいと思います。多少発送がのんびりになると思いますがそれでもよければ…。

いただいたご書評もいずれきちんと紹介しますが、ウェブでもすてきなご感想をいただいています。その中でも、この本で対象とした方々と同世代の人から頂いたご意見は最近とても印象的だったもののひとつです。社会運動に抵抗があり、社会運動をする若者を見て、どこか引いてしまっていた。一緒にするなと思っていたが、本を読んで、実は同じ感覚や心性を共有していたことがわかったというご感想は、本を書いた本人としてもとても心打たれるものでした。

実は、『社会運動のサブカルチャー化』やそれに関連する論文をある先生にお送りしたとき、こうしたご感想をいただいたことがありました。「どんな連帯も排除を伴うということは一般的な事実だが、とくに現代社会はその排除面がキツくなってきている。もう連帯ばかりを謳う社会学は要らないのではないか、とさえ思ったりもする」というものでした。
私自身前の本を書いた後で、「個人化個人化って、じゃあどうすりゃ連帯できんだよ」ということは課題として残っていました。でも、つぎの本、『社会運動と若者』そのものが課題に答えているというよりは、むしろ上に書いたような読者の方のご感想が応答を可能にする方途を示してくださっているようにいまは考えています。

確か、本の冒頭の方で「運動に参加する若者の意味世界を明らかにする」みたいなことを書いたと思うのですが、それを明らかにすることで、より多くの人が運動とその担い手に対して理解したり、解釈したり、共感のきっかけを見出せるのかなと感じます。そのような点から見ると、この本自体が文中で紹介した「経験運動」の一部でもあるでしょうし、これから自分が研究でやるべきこともおぼろげながらわかったように思います。今後の研究を通じて、個人化や流動化と言われている時代に、もう一度他者と繋がることのできる可能性を模索してみます。

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