富永ゼミグループ研究を経て(たまには富永から)

 3月7日から12日にわたって公開したふたつの研究、もとは立命館大学産業社会学部のゼミ大会と国際ゼミ研究交流会で報告したものでした。この「ゼミ大会」への参加は任意なのですが、富永ゼミ一期生となる学生さんの強い意欲から参加することになりました。私自身は彼らと週に一回しか会わないので、そのたび進捗を伺っていただけですけれども、随分長い時間議論をして取り組んでいたようで、TwitterやFacebookを通じて多くの反響があったことを嬉しく感じます。
 二つの研究テーマに共通するものとして、少し学生さんにとって古い言葉を使うと「イデオロギー」に対する一定の距離感が共通してあるのかなと思います。もちろん個人個人で、日本礼讃番組はちょっと…とか、アーティストが脱原発を掲げてもいいじゃんとか、そういった意見や持論はあるでしょうが、では彼ら自身、日本礼讃番組を普及させるべきか、音楽フェスでもっともっと政治的な発言をしていくべきか、と問われたら、おそらく研究を通じては答えないのではないかと想定しています。

 それで思い出したのが、自分の修論のことです。修士論文を出身大学の先生に見せたとき、「富永の論文を読んで思い出したことがあるんだけど」と、ひとつの映画を紹介されました。そのやりとり自体実は忘れてしまっていたのですが、学生さんの相談を聞いているうち、そのことが思い出されたので書こうと思います。
 先生が言及されていたのは、満若勇咲氏の『にくのひと』という映画です。というか、さらに詳しく言うと、その映画が田原総一朗賞を受賞した際の、監督・満若勇咲氏と田原総一朗氏のやりとりについてです。満若勇咲氏の映画は所謂「屠場」で何が行われているか、つまり家畜を食肉にする過程で何が行われているのか、という、このやりとりの中で出された言葉をそのまま引用するならば「調理プロセス」についての映画です。
 このあらすじだけを書くと多くの人は気がつくでしょうが、この映画は審査員から「被差別部落について描いた映画」という文脈で解釈されて受賞したものの、その講評の中では「タブーに踏み込んでいない」と批判されます。以下は、田原総一朗氏と他の審査員、そして受賞者である満若勇咲氏の間で行われたトークセッションの部分的な書き起こしです(動画のリンクはhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm11836847)。

 田原:たぶん、この監督は被差別部落の問題をそんなに深刻に考えていなかったんじゃないか。
 満若:深刻に考えていないというよりも、よくわからなかったので…。
 田原:だから撮れたんだ。僕がかつて、東京の食肉加工場をテレビで撮ったことがあります。もちろん私は食肉加工場がどういうところであるか、そこで働いている人がどういう立場に置かれているか重々知っていた、じゃあそれで何が起こるかというと、まず顔は出すな、どういう人かわからないように撮ろう。そういう配慮はまったくなくて、全員顔がこう出てきてしかも喋っているのよ。これだけでもね、僕は「よくわかんない」もっと言えば「能天気さ故に撮れた作品だ」と、僕はまずそこを評価する。

 このやりとりだけ見ると、その「能天気さ」に一定の評価を下しているように感じられるのですが、田原さんはやはり「被差別部落」「差別」という観点からこの映画を見る視点を手放さず、満若監督に対して厳しい言葉を投げかけます。

 田原:なんで牛にこだわったの?
 満若:鳥だとなんか……やっぱり屠殺場を撮るんであれば、
 田原:「屠殺場」ってのはね、差別用語で今使っちゃいけないんだよね。筑紫哲也さんとかが番組で言ってね、部落解放協会から大糾弾を受けたんだけど、屠殺場って言葉を使うのはいまは差別用語で禁止されてるってことは知ってるわけね?
 満若:いやそれは知ってますけど……。
 田原:でも今平気で使ってるじゃん。
 満若:(本人たちが使っているので)言い換えするのもよくないかなって……それで糾弾を受けるのもしょうがないかなって。

 私は満若さんと田原さんとのインタビューから目が離せませんでした。田原さんが満若さんに投げかけた忠告や批判は、私が研究をしていて、本や論文を読んだ人から幾度となく言われてきたものとよく似ていたためです。何よりそれは、いま、私が学生たちに投げかけようとして踏みとどまっているまなざしでもあります。
 田原氏は、満若氏がこうした作品を撮った背景を、彼の「能天気さ」「深刻に考えていない」といった、ある種の未熟さや若さ、浅さ、勉強不足といった点に求めているように思えます。しかし、若いということは未熟さだけを指すのではありません。満若氏の態度には、彼の世代なりに、出自も経験も異なる「他者」と生きる方法をめぐるリアリティがあるのではないでしょうか。

 満若氏は、屠場を舞台として映画を撮り、被差別部落の問題を認識してなお、田原氏曰く「禁止されてる差別用語」を依然として対談で使っています。その理由として、当事者が使っているから、という「本人たち」の自主性を意識します。さらに、ここでは書き起こしを載せませんが、映画を撮った感想として「皆同じなんだ」と話します。田原氏にとって、屠場で働く人々も映画を撮る人々も「皆同じ」ということは言うまでもない常識かもしれませんが、その「同じ」ことがわからない社会に満若氏は生きているのではないでしょうか。
 その「みんな違う」という状況ゆえに生まれたのが、「本人たちの自主性を重んじる」という、当事者性への尊重なのではないかと、私は考えました。満若氏にとっては、人が簡単に他者の職場を「被差別部落」と見なして「問題」化し、撮る側が勝手に「タブー」を設定してそこに「踏み込む」という態度を持つことのほうが抵抗があったようにも感じられます。

 だいぶ長くなりましたが、富永ゼミ一期生のグループ研究に話を戻したいと思います。
 日本礼讃番組が増加しているから、それを不思議だと感じた。音楽と政治を切り離して考えようとする人がいて、そうした人の存在が気になるので調査した。こうした動機からの研究は、ある社会的な問題意識を抱いて研究する立場からすれば、浅薄といえば浅薄だし、見る人が見れば不真面目にも感じられるでしょう。ただ、だからこそ取りうる研究の姿勢とか、提示できる知見があるんじゃないかとも感じています。
 上述した田原氏と満若氏のやりとりほど完成され、洗練されたものではないかもしれませんが、既存の価値観から見て深刻な問題意識を経由しなかったゆえに提示できた分析枠組みや発見の可能性が、この研究の中にも少しでも見えればいいかなと思います。さらにそれが、ただ単に未熟で経験不足というだけではない若い彼らの世代や年齢なりのリアリティを反映したものであればと願いますし、それをさらに明文化するのも私の仕事かなと思ったりしています。

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