「無能なだけの不毛な研究者」

本当はいただいた書評へのリプライや英語論文の刊行など、色々書かなきゃいけないことがあるのですが、先日、ちょっと嬉しいことがあったので、それについて(本年度のちょっとしたまとめも兼ねて)書きます。

Webに掲載されていた、私の初著刊行記念インタビュー(https://honcierge.jp/articles/interview/211)を読んで、いままで社会人としてずっとやってきたけれど、これまでを振り返り、新しい挑戦として、社会人院生として大学院を受験することにしました。といった内容のメールを、見ず知らずの社会人の方からいただきました。自分よりずっと年長の人の背中を後押しすることになるなんて、と、このインタビューを企画してくれたライターの烏丸おいけさんとすごく喜んでいました。

本年度もそろそろ終わりますが、「学者」であるというよりは「学者であることの波及効果」を求められる機会が増した一年だったように感じます。自分の研究は何も変わっていませんが、少ないながらも機会を頂いて、小さい記事や宣伝文を書いたり、著名人の方と対談したりテレビ番組に出たりするということは、自分のやっていることじゃなくて、自分が持っている別の何かを差し出すことで、それに何か社会的な意義はあるのかな……というほど真面目ではないけど、「本当にそれでいいのかな」と思ったりはしました。
このインタビューは多分私の本より論文よりずっと読まれていますが、それは私の研究だけじゃなくて、それをするに至った動機や生い立ちといったものが大部分です。これ自体は研究してなくても喋れることで、素敵な写真を撮っていただきながら、正直「これでいいのか」とは思っていました(すいません)。とりたてて特別な経験をしていない、そこら辺のどこにでもいる大学教員が自分の好きなことを喋っているだけで価値があるようには思えなかったのです。
ただ、冒頭で紹介したメールを受け取ってお話していたときに、烏丸おいけさんが「ヒストリーは人を動かしますからね」と仰っていて、ああ、そういうことなのかな、と何となく納得しました。私も何十人もの社会運動に関わった人にお話を聞き、影響を受け、少なからず人生を変えてきたために今があります。お話を伺った方は、私からするとすごい人ばかりでしたが、その人達は自分を「すごい」と感じていないでしょうし、このインタビュー好きに喋ってるだけなんだけど役に立ってるのかな、と仰られる方もいました。
自分が人に与えてもらっている影響を、自分も少しだけ人に与えられるようになったのかなと思います。そういう意味で、研究外の仕事も一種の運動であり得るのかなあと感じています。これからも、色々な人と様々な仕事に取り組むことが、社会を変える一歩になり得るのかな、といま思っています。

タイトルは、私の好きな映画の一つ『SR サイタマノラッパー』のテーマソングからとりました。埼玉でアマチュアのヒップホップユニットで活動している主人公たちは、ある「畑違い」の年長の人達の前でパフォーマンスする機会を与えられます(このシーンのいたたまれなさは本当に一見の価値ありです)。この主人公たちの挑戦は、その場では「失敗」に終わってしまったようにも見えますが、おそらく彼らのパフォーマンスを聴いた畑違いの人々の中には、彼らから強い影響を受けた人もいると思うのです。

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